2010年6月17日木曜日

授業案作りで注意すべきこと(その1)



<前提> 社会科学習を、子どもたちの社会化過程の一環として捉え直す:

自分たちを取り巻く社会の仕組みについての認識を広げ、深めると共に、社会における自分たちの位置を認識し、自己肯定的な価値観とともに、自己を相対化させていく知的活動。

1.取り扱う単元が、小中高校における一連の社会科学習の中でどこに位置しているのかを踏まえること。

小学校での社会科学習で取上げる単元教材は、その後の学習の入門的位置にあります。そこで学習が完結することよりも、むしろそこから次の学習に進む意欲や疑問・自らの課題を作り、次の学習に発展していくきっかけになる学習経験になることが重要です。

2.何のためにその単元があるのか? その単元で何を学ぶことが目標となるのか?

これは、なるべく大きな社会的視野と歴史的展望のもとで考える必要があります。なぜなら、イ)指導要領で学習単元として取上げられている社会事象は、急速かつ大規模に変化しており、指導要領が追いつかないことは稀でないこと;
ロ)また、指導要領自身が教員たちの自主的裁量による取上げる単元やその内容の「精選」を奨励していること;
ハ)そもそも教員自身が自分たちの力量を高めようとするなら、激変する現代社会の中で子どもたちの成長発展に応えていくのに相応しい単元構成などを、自主的に練り上げていくことが必要であるためからです。

3.その単元で考えうる小単元を、幅広く豊かにイメージすること。

「ゴミ」の小単元は、「地域の人々にとって必要な飲料水、電気、ガスの確保や廃棄物の処理」、「スーパー」の小単元は、「地域の人々の生産や販売」の中の一部です。そして、「ゴミ」をめぐっては、例えば、生活一般ゴミと産業廃棄物、リサイクル、環境汚染・破壊、ゴミを不可逆的に増やしていく現代生活のありよう等の様々な問題がその中には含まれています。また、「スーパー」をめぐっては、例えば、大量生産(鳥インフルエンザや口蹄疫問題)や、フードマイレージ、自給率、地域の小売店の壊滅(商店街のシャッター通り化や老人の買い物困難化問題)、働く人の不安定雇用問題等の問題が含まれています。

こうした様々な問題の全体像を捉えながら(第1ステージの課題でした)、その中から子どもたちの既有の知識や経験と繋がっている身近な問題を取上げ、教材化したものが小単元となります。

社会科が扱う社会事象は極めて広汎で多岐にわたります。一教員がその総てについて時代遅れしていない知見を絶えず更新し、研鑽を深めて行くことは極めて困難です。そこで考えられる方策は二つあります:

<第一の方策> まず、自分の得意なテーマ、単元を持ちましょう。そのためには、①学生時代に自分が興味関心をもつ複数の社会問題について、毎週一回くらいのペースで、ニュースのコピペや新聞切り抜きを相当期間続けて行き(追いかけ)、②1ヶ月後、3ヶ月後、半年後とテーマを絞って行く、③そうして残ったテーマについて、新書や入門書をまとめて読む、④それに関する大学の授業での発表の機会を活用する、といった方法が勧められます。
③は就職後にも、半年や1年に一回の割合で定期的に続けたいことです。これを5年間続ければ、あなたはそのテーマ、単元が得意な教員として注目されるまでになるでしょうし、10年間
続ければ必ず全国レベルでの第一人者の一人になれるでしょう。

<第2の方策> また、自分が得意ではない、良く知らないテーマや単元について自分より良く学んでいる他の教員の力を借りることです。つまり、教員集団として学び合い、支え合える関係の中に積極的に入り、年齢と共にその相互関係の中で世話係などになっていくことです。自分が持っていないものを借りられる、他人が持っていないものを貸せる信頼関係を作り、その担い手になることです。

<子どもたち自身の学びを立ち上げる>

暗記型の「授業」ならば、受験対策として(その効果も怪しいけれど)はともかく、やらない方がマシ。

4.子どもたちが既にもっている知識や経験とつながっている身近な問題から出発し、彼らの内発的な問い、つまり彼ら自身が「知りたい、分かりたい、解決したい」と思う学ぶ動機を立ち上げること。

「過去問」のように教師から一方的に与えられた問いに対して、それに正答を当てれば正解となり得点できるという格好の「授業」は、クイズ番組と変わりのないゲームに過ぎません。そこでは子どもたちは何も考えず、サーカスの「計算の出来る」馬が人の一寸した様子の変化を読み取って(「計算をする」動作に見える)蹄を打つのを止めるように、子どもたちは教師の顔色をうかがい取って、教師が喜びそうなこと・関心を惹いてもらえそうなことをして「良い点数」をとったり、教師に叱られるのを避ける反応をするに過ぎません。

子どもたち自身の内面からの問いから出発するためには、子どもたちが既にもっている知識や経験、そして関心の具体的な内容を知ることが決定的に大事です。このことは、授業案を作る際に、<取上げる社会事象と子どもたちとの関係>のところで、あらかじめ丁寧に観察し、分析しておく必要があることです。こどもたちの既有の知識や経験、関心は、彼らが置かれている社会環境によって異なります。同じ時代でもその学校の地域や、クラスの家庭環境によって異なるでしょう。狭く社会科に関わる側面からだけでなく、子どもたちのありのままの全体像を見ることができるように、子どもたち自身の目線感じ取れるようになりたいものです。

5.子どもたち自身が、自分たちの力で調べ、調査することのできる活動を組込むこと。

(1)「過去問」に対する一つしかない「正答」を覚えることが大事なのではなく、問いに対して根拠、裏付け、理由をもって答えを探っていく過程を、子どもたち自身が経験することが大事です。その結果として、たとえ教師のめざす「正解」に子どもたちが到達できなくても、子どもたちは自分たち自身が考え抜いたというより重要な経験をしており、その経験こそが学びの根幹であるからです。

(2)また、教師の目から見て誤った答えしか導けなかったとしたら、その原因の大半は、子どもたちが扱うことの出来る情報に不足、偏り、誤りなどがあると考えるべきです。

イ)子どもたちが自分たちの力で答えを導けるだけの十分で適切な情報を提供すること(実証)、
ロ)そして、筋道をたてて結論を導くこと(論理)

教師の重要な役割は、この二つを十分に保障することです。
後者(ロ)については、扱う問題に応じて十分な討論時間を確保する必要があります。ここでは、<仮設+実験>に近い構造をもった思考作業が行われることが多いでしょう。しかし注意をしなくてはならないことは、社会事象については自然科学と同様の<実験>はできないことです。

帰納法的推論だけでなく、演繹的推論も(特に精神年齢が高くなると)可能になり、また必要になるでしょう。少なくとも教師が注意しなくてはならないことは、教師が導きたい結論に適合的な意見だけを取上げるのではなく、そこに繋がらない意見を含めて、子どもたちの間で生まれる多様な意見を、多数意見/少数意見の別に拘らずに丁寧に取りあげ、子どもたち自身の間での討論が成り立つような心理的環境(少数意見や異論が、その内容を吟味されることなく「おかしな意見」として排斥されたり、抑圧されたりせず、寛容に受け止められる関係)を保障することです。

6.<まとめ>は、単に個々人のノートにまとめるだけでなく、他の人に伝える<発表>の形にすることが学習した内容を定着させるうえでは効果的です。個々人のノート(それは個別の成績評価には使いやすいものであっても)は、ともすると自己満足的なものになります。それに対して、発表はその事柄について良く知らない人にゼロから伝えることを通して、自分たちが学んだ内容を分かりやすくまとめる作業を含んでおり、各自の学習経験に達成感を持たせることにもなります。

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