2008年5月23日金曜日

社会認識の基本問題(その2)

080522 <農業問題>を通して見えてくるもの

A.農業も人間と自然との物質代謝過程の中で営まれている

農業の自然的条件:<土地>
 1)土地の有限性
 2)気象による制約

← 国境を越えた地球規模での有限性・制約

 3)(自然界に存在しなかった)化学肥料、農薬による環境汚染
 4)(自然界に存在しなかった)遺伝子組み換え農産物による自然との物質代謝過程の攪乱

→ 安全問題:人間内部の自然の攪乱

B.農産物の価格

1)需要と供給の商品関係(市場)による決定(C−1)

→ 2007〜08年の急騰は需給関係で説明できるか?

2)「高い国産食料よりも安い輸入食料」で良いか?

  * 安全性に不安、新鮮さ・「おいしさ」に欠ける、輸送時のCO2排出;産出国(輸出国)の変動(天候変化、不作、政治経済事情)に振り回される

→ 人為的規制:国内農家への交付金や低利融資、輸入関税、政府による買取り(価格支持)、土地改革、灌漑・道路整備など
      cf. ゴミの排出・リサイクル・処理の負担


D.<規制>(Cに対する)が社会課題になる:

規制の内容、その目的や基準;規制の内容の作る手続や仕組み、規制を行う主体など。

社会認識の基本問題(その1)

080515 <ゴミ問題を通して>見えてくる社会認識の基本問題

A.人間生活は、自然と人間社会との物質代謝過程の中で営まれる。

人間は、労働によって自然に働きかけ、そこから生活に必要な物質を生産する。
人間生活におけるモノの生産と消費の過程で、自然界にモノが排出される。

循環されずに堆積されるゴミ

B.ゴミの削減、リサイクル、処理は、「社会的課題」となる。

その費用を誰が負担するか? 
生産者・販売者・消費者?

C.<大量生産・大量消費>を支える社会条件:

その1:資本制商品経済

商品:売ることを目的として作られる
  売れなければ商品市場では(まだ使えるモノでも)「ゴミ」
  人間生活に不要なモノでも売れれば商品であって「ゴミ」ではない

その2:社会的に作られる<欲望>

2008年5月19日月曜日

明治維新を学ぶ初歩的文献

ゴミ問題や農業問題についての情報・資料と、「歴史」に関する情報・資料とでは、手軽に使えるものは随分に様子がことなる。
歴史の分野では、初学者が頼りになるサイトは殆どない。詳しい年表を眺めたからといって、それで「歴史」が把握できるわけではない。
1853 ペリー艦隊、浦賀へ
1854 日米和親条約
1858 日米修好通商条約、安政の大獄
    西南有藩で尊皇攘夷運動活発化
1864 四国連合艦隊、下関占領
    江戸、大阪などで打ち壊し
1866 薩英同盟
1867 大政奉還・王政復古
1868 戊辰戦争、五箇条の誓文
1869 版籍奉還
   「四民平等」の身分制改革
1871 廃藩置県
1872 学制
1873 徴兵令、地租改正
1874 「征韓論」の高まり
   民選議員設立の建白書
1875 樺太・千島交換条約
1876 朝鮮と修好条約
1877 西南戦争

、、、、だから?

「歴史の流れ」という。水は高いところから低いところへ、一方通行的に移動する。この社会は水のように、<上から下へ>、いつでも同じ速度で「流れ」て行くものだろうか?

確かに人間の社会も時間軸の中で変化する。「前の社会」と「後の社会」ではどこが異なるか。社会の特徴、構造にどのような違いがあるか。そうした変化はなぜ生じたか。水の「流れ」と同様に捉まえることのできない、変化の中身・質を把握することが問われている。

高校の日本史の教科書も、明治維新とは何かを考えるうえで基本的に踏まえるべき事柄をコンパクトにまとめているので参考になる。
しかし、検定教科書は上記のような問いにもとづく学習に答えるものには必ずしもなっていない。そこで参考になるのは、図書館の歴史・日本史・日本近代史のコーナーにもある、さまざまなシリーズものや「講座」ものだ。それらも大部で読み切れないというのであれば、例えば次の概説的な入門書を参考にして欲しい。

大日方純夫『はじめて学ぶ日本近代史(上)』大月書店
田中彰『明治維新』岩波ジュニア新書

2008年5月18日日曜日

農業問題の資料・初歩的文献

班報告にはサイトに偏った情報収集が見られる。
次ぎに参考になる初歩的または概括的な文献を掲げる。
参考にされたい。

大野和興『日本の農業を考える』岩波ジュニア新書、2004年
梶井功『日本農業のゆくえ』岩波ジュニア新書、2001

大野和興・西沢江美子『あぶない野菜』めこん、2001

田代洋一『WTOと日本農業』筑摩書房ブックレット、2004
西川潤『食料』岩波ブックレット

農林水産省のサイト:http://www.maff.go.jp/
ここには政府サイドからではあるが、有用な資料が掲げられている:

たとえば、「食料・農業・農村白書」(各年度)
http://www.maff.go.jp/j/wpaper/

北林寿信氏の「農業情報研究所」のサイトもしっかりしている:
http://www.juno.dti.ne.jp/~tkitaba/

2008年5月16日金曜日

「農業」の報告について

各班は取上げた題材(麦、コメ、大豆、野菜の農業生産)の中にある一つか二つの大きな問題にしぼって報告を作ることを勧めます。
その問題としては例えば次のようなものが適当です。

大豆(コンバイン):自給率、国際価格変動;遺伝子組み換え(食品)
麦(INO):日本の麦作りの過去と現在(埼玉の麦作りはなぜつぶれたか?)
野菜(チョコ):フード・マイレージ、産地指定制度;開発輸入、輸入野菜の安全性
コメ(こくぎ):米価、減反、農業で暮らしをたてること(農家の経営)、水田の役割(国土のあり方)

2008年5月14日水曜日

社会について学ぶこと

1.暗記で学べるものには限界がある

<情報を仕入れ保存すること>は社会について知ることの一部でしかない。あれこれの雑多な知識、情報を仕入れて蓄えても、それは「トリビアの泉」と変わらない。様々な事柄についての色々な情報、その相互の関係と動きが掴めないと、単なる「物知り」にしかならない。

「物知り」になることは、場合によっては受験のような作られた試験で役に立つことがあるかもしれない。しかし、それは実際の生活では生きることのない「死んだ知識」でしかないのではないだろうか。私たち人間にとって、社会についての知識・情報は、自分の存在と結びつけられたものでない限り意味をもたないのではないだろうか。

私たちは、情報を仕入れて記憶(保存)する単なる記録装置ではなく、私たちが向かい合っている社会の中に生きている存在である。私たちは、私たちの「周り」にある社会関係によって影響され規制されていると同時に、私たちの存在自身が「周り」の社会関係に対して影響を及ぼしている社会内部の存在である。私たちが社会について知るということは、私たち自身がどのような社会関係の中にいるのかを知ることであり、自分がどのような社会的に規定された存在であり、また社会に対して影響を及ぼし・働きかけうる存在であるかを知ることである。

2.対象(社会)と認識主体(自分/自分たち)との不可分性

1)何が問題か?

どんな社会事象について「事実」でも、私たちにとってはある意味を迫ってくる。それが自然現象のように見えていても、そこで人間が関われば(ex. 地震による被災)それは社会をつくって存在する人間にとっての問題、つまり社会問題になる。

自分の五感には直接に感じられない遠くの地域でおこった出来事でも、それが人間に関わる出来事であれば、なんらかの繋がりを通して自分にも影響してくる(ex.アフリカの飢餓)。直接・間接の程度の違いはあっても、それは私たちにとって、「じゃあどうするのだ」という問い、つまり問題として迫ってくる。

「だからどうした?」「自分には関係ない」という対応もある。しかし、自分がまったくの無縁で、影響も受けず影響も与えないところにいる事柄はどれだけあるだろうか。「自分には関係ない」という態度を取ること自体が、その社会事象に一定の影響を与えてしまうとはいえないだろうか。

「ではどうするか」等の問いが次に来ることも多いだろう。しかし、ここでまず気づくことは、人間は、ある社会事象についての情報「事実」に接したとき、単にその「事実」を記憶・保存するだけの存在ではないことである。殆どの人は、その情報の自分にとっての意味づけを行い、その中の多くの人は「ではどうするか」と意識する。

2)問題の原因

3)原因の解明の仕方

4)人類の知的蓄積(学問)

3.ニュースを追う

3−1)社会は絶えず動いている

社会は今この瞬間にも、私たちが眠っている間にもあたかも自然現象のように絶えず変化し動いている。その「最先端」に私たちはニュースで接することができる。もちろん、日々の個々人の経験も一つ一つの社会事象である。しかし、社会についての理解を深め広げるためには、単に自分の個人的経験の圏内に注意関心を留めていてはならない。


3−2)追っかけ

就職試験の間際になって「一般常識」「時事問題についての知識」を短時間で仕込もうとする人がいる。そのための対策本まである。しかし、その程度のことは、毎日あるいは二日に一回、ニュースに注意していれば、いわば自然に身に付いてしまうものだ。試験の直前に「時事問題」対策本を読むのは、終わってしまったその年のプロ野球やJリーグの一年の経過を振り返って見るようなもので、簡単に一年間の経過は分かるかもしれないが、面白くもない。

プロ野球やJリーグなら一試合一試合を丁寧に見ていなくても、時々「ああ、昨日はXXが勝ったな」とか、「二日連続に○○を使ったから、今日は▽だろう」とか、「このところ○Xは調子がいいな」くらいのチェックをしていれば大まかなことは分かってくる。丁度そんな調子でニュースに付合えば良い。初めは良くわからなくてもそのうち分かってくることは、スポーツ観戦と同じところがある。好きなチーム・選手や嫌いなチーム・選手がどうなったかに注意して追っかけていると、何となくシリーズやリーグの全体が見えてくることがある。そんなように、興味がもてる問題や人物、組織・団体の動きに注目して、ゲームでも見るように追っかけていくと、社会の動きの全体の姿が少しずつ見えてくるところがある。

第1ステージの討論を踏まえて

三つの問いについて考えてみた。
そこから次のことが言えるのではないだろうか。
第2/第3ステージを通して考えて欲しい。

1.暗記本位の「社会科」は、社会科嫌いを作るだけでなく、自分たちがこれから生きて行く社会の諸問題に対して受身で消極的な人々を作ってしまう役割を果たす。

2.社会科の学習・教育は、学習主体のこれまでの経験、現在の実感から出発しながらも、自分たちがこれからその中で生きて行く社会の諸問題に対して関わっていく姿勢を立ち上げ、そうした力量を養っていくことにこそ、主眼を置くべきではないか。

3.社会科の学習・教育に携わる教員自身が、社会の一員として、自分たちがその中で生きている社会の諸問題に対してどのように関わっているかが、社会科教育活動の内容と水準を左右する。

2008年5月8日木曜日

社会科教育授業で大切したいこと

 

現在のニュースに上がる問題を子供は難しく大人のこと・問題だ、と他人事に思っている。
だから社会科は興味もわかず面倒くさい、嫌いとなってしまっている。
 
ゆえに社会科教育授業では子供に「自分達も考えなくては!これからどうしていかなければならない!」と思わせる問題提起が重要であると思う。
内容としては身近にあるものを使って、実際に実物を見たり使ったりしたほうが良い。
ex)農業
 商品に書いてある産地を調べていく など。

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<コンバイン>

地理と公民と歴史を交えながら教えること。
個人の利益ではなく、社会全体の利益になるような教育をする。
子どもが興味を持てるように、雑学も取り入れる。
メディア(新聞など)を使う。
 それによって自分の生活と関連付けられるようになる。例えば、衆議院の再可決とガソリン税の問題。 

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<新技体>問3社会科教育・授業で大切にすべきこと

・ユーモアのある授業展開。
→淡々と進んでいく授業はつまらないので、児童の興味をどうやったら引き出せるのかを常に考えておく。

・教科書の内容だけでなく、関連する雑談も加える。子どもに親近感を持たせられるように、身近な例を出す。
→子どもたちの生活に関連付け、理解しやすい説明をする。

・子どもの視点に立ち、子どもたちと一緒に考える時間を持つ。
→大人が知ってて当たり前と思うことでも、一緒に学んでいくという意識を持つことで、教科書を読むだけの児童置き去りの授業にならないようにする。

・教師自身が「なぜ社会科が必要か?」という問いに答えられるようにする。
→児童になぜ学ぶのかということを聞かれて、自分なりの答えを答えられるようにする

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【こくぎ】班

できるだけ授業に関連させて社会科見学を行うこと。
理由:社会科が自分たちの身の回りに繋がっていることを確認、再確認させる機会を多くするため。

理論と実践をバランスよく取り入れること。
理由:座学だけでなく実際に外に出て学習することでより興味を引くことができるため。

先生の話だけでなく、外部講師を招き、実際の話を聞いてリアリティを出すこと。
理由:生徒を飽きさせないことと興味を持たせるため。

実生活になるべく密着した内容から始めること。グループ学習や、調べ学習などを多く取り入れること。
理由:自分で調べてみようという意識をもたせることが社会科に興味をもたせる一歩となると思うから。

暗記に関しては、ただ教えるだけでなくリズムを合わせて覚えるような工夫をすること。
理由:『良い国(1192)つくろう鎌倉幕府』などは生徒にも馴染みやすいから。

映像や写真、図などを多く用いた授業すること。
理由:視覚を通して児童に内容を印象づける効果が期待できるから。

毎回の授業で、目標を生徒に提示すること。
理由:数学のように、「今日は●●の公式を覚えよう」などと目標をはっきりさせることで生徒のやる気を引き出せると思うので。

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<グリコ班> 社会科教育の授業で大切にすべきこと

社会で生きていくための最低限の知識を身に付け、それを応用できるように
教材を学校側の提供する以外の物(ニュース、見学等)も使用し、身近なことや時事問題と関連させて授業を展開すること。
また、授業は板書中心の受け身型授業ではなく、生徒が主体的に考え、参加できるよう工夫し、積極的な物とするよう心がける。
身近なテーマを取り上げ、生徒自身に思考させる場を作ることで知識の詰め込みではない、より実践的な学習ができる。

もう一つは、物事の相互間の関わりを認識させること。
森林と雨の一つ欠けると他に影響が出る循環の関係のように、授業の知識とテレビのニュースにも関わりがあり、一つの内容が全てに繋がることを教える。
社会科教育を通して、関連づけて物事を考える重要性を教える。

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この他に、<三班><テクニシャン><保体・技術A><国専A><?><?>から、出されています。

第2ステージの報告準備

差し当たり、次の心構えで用意すること。

1)担当する問題(単元)を広い視野で大きく取上げる。

2)4つの班の間で重複が生まれないように、上記1)を大まかに分担すると良い。

3)現在の日本と世界に生きる人々にとって、何か問題であるのかを大まかにでも示すことを心がける。

4)問題にいかに対処すべきかの主張よりも、その(発生)原因の解明の方に力点を割き、注意する。

5)情報収集の仕方に注意し、参考にした文献資料の一覧も、報告フリント本体とは別に三輪に提出すること。

6)発表時間は15〜20分。黒板使用可。しかし、powerpoint使用不可。

7)配布プリントは原則としてA4版2枚まで。これは前日までにEメールで送るか、当日の10時までにprintoutしたものを212研究室に持ってくれば、三輪の負担で印刷します。遅れた場合は、班の負担でB4版一枚に印刷して、90部持参すること。

2008年5月7日水曜日

資料の探し方・調べ方

1.図書館で調べる

(1)該当する分類項目の書架で、直接に本を手に取って探す。

「はしがき」と「あとがき」には著者の執筆の目的や狙いが端的に書いてあることが多い。
目次から本の内容が分かりやすいことも大事。
索引や参考文献が付いている本は、しっかりしている確率が高い。

(2)埼玉大学図書館の開架部分では、残念ながら学習用基本図書は余り良く配架されていない。

必ず、近隣の公立図書館も合わせて利用すること。

(3)文献をどうやって探せばよいのか分からない時は、レファレンス担当の図書館員(カウンターにいる)に質問する。

(4)新聞縮刷版の目次か事項索引、『現代用語の基礎知識』、『知恵蔵』、『イミダス』

2.大きな本屋へ行く

とりわけ、新書やブックレットのコーナー

3.インターネットによる情報収集

「インターネットはゴミの山」と思った方が良い。本を出版する際にあるような経済的リスクを負うことなく、ネットに接続できる人なら誰でもサイトを作り、書き込むことができる。「言いたいこと」が書かれていても、匿名やハンドルネームの場合などのように、書く人が内容に責任を負っているとは限らない。

ネット上の情報を利用する時は、
(イ)作者が判明しているもの、
(ロ)意見ではなく事実にかかわる情報、
に限った方が無難である。

例えば、官公庁のサイトは、時の政府や行政庁の立場にたった情報であふれており、その宣伝サイトであるといってよい。しかし、同時に、そこには信用度の高い調査統計資料が載っていることも少なくない。

反対に、Wikiペディアに信頼性は極めて低く、まともな報告・論文を作ろうとするときにこれを使うのは禁物である。


このようにして探してみると、<ゴミ問題>の場合には、次のようなものが参考になることが分かる:

森下研『ごみ問題をどうするか(廃棄・処理・リサイクル)』岩波ブックレット440、1997年
八太昭道『新版ごみから地球を考える』岩波ジュニア新書、2006年
寄本勝美『リサイクル社会への道』岩波新書、2003年
環境省HP
EICネット:http://www.eic.or.jp/index_category.php?category=51

2008年5月4日日曜日

第2ステージの課題

第二ステージでは、これからとりあげる単元で扱う社会問題それ自体についての勉強をする。

<扱う対象について教員自身がしっかりした認識をもつ>

小学校での授業が成り立つためには、子どもたちの学習を支え、授業を担当する者(教師)自身が、そこで扱う対象についてしっかりした認識をもっていることが、良い授業を行う上での不可欠の前提となる。教師に求められるこの前提とは、社会科の場合はつまるところ社会科学の素養ということになろう。社会科学とは社会現象についての科学・学問の総称で、そこには経済学や社会学、政治学や法学、そして歴史学や地理学などの分野が含まれている。

<万能でなければ務まらないか?>

しかし、現実には社会科の授業を担当する者が、この社会科学の全分野にわたる基礎的素養を身につけることはできない。また、それだけの広い分野の基礎的素養を総合的に身につけるまで誰も社会科の授業を担当することはできないとしたら、現実のこの社会で社会科教育を担当できる人は極めて少なくなってしまい、小学校での社会科教育はなり立たなくなるだろう。それにまた、実際の小学校での社会科の授業をすすめていくうえでは、教員は社会科学のスーパーマンでなくては務まらないわけでもない。

<二つの要請>

必要なことは、人々が生きる社会の基本的問題について科学的なものの見方を身につけていくこと。そして、社会科教育の現場に立ったときに、社会科教育を進めるために必要な情報(社会問題とその学問的研究成果)を収集し処理する能力の基礎を身につけることだろう。

このうち前者は、この学部では「社会科概説」の授業で、学習できることになっている。ところが、「社会科概説」のカリキュラム上の位置づけにもかかわらず、その内容は社会科学のある分野の「概説」であったりすることが過去にあった。また、現在の履修規定では、社会科指導法Aを履修する者の総てが、「社会科概説」を必ず履修する仕組みにはなっていない。

この授業の第2ステージでは、三つの単元で扱う社会問題それ自体についての勉強を通して、前者については、次の諸点をコメントする予定である:

1)社会現象について学ぶとはどういうことか?
  
2)事実と意見の区別

3)分析と総合

4)実証と批判

5)時空の経験的制約

6)共同の仕組み

後者については、第2ステージでの班報告作成に取り組む中で、実際に練習してもらう。

5月1日 授業メモ

080501

<Q1.社会科が嫌いな小中学生が多い理由>再考

A) 暗記

・ 受験成績+受験技術

* 受験が終われば社会科も終わり!
 苦痛経験それ自体に意味はあるか?

B)興味がもてない 

・ 自分に関係づけられない;身近でない;現実味がない

* 学ぶ主体の(今後の)行動、生活との関わり

B’)体験してない

・ 未経験、想像しにくい

* 出発点としての実感と体験、

⇒ 視野の拡大:<他者との出会いと交流>、そして<共感能力>

⇒ 概括的な把握:<抽象的思考>

C)学ぶ意味が分からない

・実生活で役立たない;なくても困らない。

* 未だに保護される立場、「社会に出て」いない立場

? (1)独習、(2)必要になった時から で良いのではないか?

? 「役に立つ」とは?

* 指導・保護される立場から、自分で判断し自分で行動する主体へ

* 個人の私益だけのためか?

D)広域すぎる

・「歴史が嫌い」となると社会科全体が好きでなくなる。

・ 何が重要/基本かが見えてこない。

* 教員、教材の問題(その1):<社会科学的素養>

E)担当の先生が好きではなかった

・ 参加型でない板書中心の受身の授業

* 教員自身の問題(その2):<市民的主体性>

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