2009年4月23日木曜日

0423:いじめと訳の分からない校則

1.変な校則、おかしな校則

<服装>
カーディガンを男子/女子は着てはならない。
カーディガンを着るときにはその上に上着を羽織らなくてはならない。
スカートの丈は、**とする(ミワ妄想:誰がどうやって計るのじゃ?)
ソックスは20cm以下、ストライプや模様の付いたものは不可、色にも限定。

<髪型>
長髪は禁止、男子は丸刈り(一時期まで)、5厘以下は不可。
前髪は目・眉にかかってはならない。
もみあげは、耳にかからないこと/耳の半分まで。
パーマは禁止、しかしストレート・パーマは可。
茶髪、毛染めは禁止。
(ミワの感想:理髪店組合から営業妨害の訴えはでなかった?)

携帯を持ち込むと退学(ミワの疑問:持ち物検査はプライバシー侵害なしにできたのか?)。
しかし、ゲーム機はOK。
男女で手を繋いで歩かないこと(ミワの疑問:肩を組んだり、抱き合って歩くのは?)
小中学校では登下校時にヘルメット着用。
廊下で歌ってはならない(ミワの疑問:トイレの中なら?)。

<アルバイト禁止>

要するに、理由・目的の分からない校則が少なからずあった。そして今でもある。
それは何故だろうか?

訳が分からなくても従順に従う人間にするためか?

集団生活の中での葛藤、ぶつかり合い、それを誰がどうやって解決するのか?
先ずは当事者自身が、取り組むのが子どもの世界を含めて、外的規制さえなければ普通にとられる道筋ではないのか?
当事者同士の意向が、訳も分からなく外から押さえられ、しかも目的や理由も当事者には分からない規制が、外から、当事者よりも力をもった者から押しつけられるとしたら、それは当事者にとっては、互いの葛藤やぶつかり合いよりもストレスの大きなものであることが少なくない。「放っておいてくれ! 俺たちのことは俺たちで決める」「あんたはお呼びではないの」

子どもであっても、とりわけ中高校生にもなれば、誰もが自分自身の力で判断し、態度行動を決定していこうとする。それが自らを成長させていく内面に備わった人間ならではの能力ではないのか?

過剰で理不尽な校則、そこに顕著に示された学校内部での子どもたちにたいする支配。子どもたちが本来もっている自主性を損なってまで進められる管理。それは大勢の生徒を押しつけられる教師にとって、一見すると便利なやり方かもしれない。しかし、そこに大きな落とし穴がありはしないか?

変な校則に端的に示されたような学校における生徒にたいする拘束(自主性の抑圧)にこそ、「いじめ」の大きな舞台背景があるのではないか?

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<参考>

1961年名古屋市立城山中学校生徒手帳

「わたしたちは、こんな人間になりたいな」
生徒も 先生も 男の子も女の子も
正しいことは 正しいと
美しいものは 美しいと
ほんとうのことを 話し合いたい
困ったときは しかたがない
苦しいときは 誰かがやるさ
こんな気持ちをすてきって
みんなで 一人のことを考え
ひとりで みんなのことを思い
血のかよった 仲間になり
きょうを せいいっぱいくらし
誰も彼もが「生きていてよかった」
と言える 社会を作る。
わたしたちは
    こんな人間になりたい

「生活の目標」
◎ わたしたちの学校と仲間を愛そう。
◎ わたしたちはつねに「なぜ」と考えよう。
◎ わたしたちは実行する勇気をもとう。
◎ わたしたちは生きた学習をしよう。
◎ わたしたちはねばり強いからだをつくろう。
◎ わたしたちはひやかしやかげ口をやめよう。
◎ わたしたちは自分の行動に責任を持とう.
◎ わたしたちは はたらくことによろこびをもとう。

「礼儀作法について」
前文:礼儀作法を知らないということは、自分の品位をおとすことです。
りっぱな社会人として独立できるように多くの人から信頼を得られるように努めましょう。

1〜8はまあどこの学校でも書かれていそうなことだ。ところが、最後には、

9.討論,その他 話し合うときは、他人を意見をよくきき、静かに正しく判断し、また自分の意見も正しく発言しましょう。
自分の思っていることをそのままいえるということが人間として一番ねうちのあることです。

090423 なぜ学校は必要なのか? (授業メモ)

A、なぜ「いじめ」が多いのか?
B.「モンスターペアレンツ」が増えるのは何故?
C.出身家庭、地域による教育(機会)の差異の拡大

1.森田洋司・清水賢二『新訂版 いじめ――教室の病い』金子書房、1994年 による分析:

いじめの四層構造:加害者:いじめっ子、被害者:いじめられっ子、観衆:いじめをはやしたておもしろがって見ている子、傍観者:とは見て見ぬふりをしている子。

重要な役割を果たすのは、「観衆」と「傍観者」の反作用(反応)。かれらが否定的な反応を示せば「加害者」はクラスから浮き上がり結果的にいじめへの抑止力になる。逆に「観衆」がおもしろがったり「傍観者」が黙認するといじめは助長される。他に「仲裁者」という役割もあるが、いじめ場面では極端に減少し、クラスは「四層化」されている場合が多い。

<学級集団の中心的価値に対して肯定的か否定的か>、<教師や生徒間の影響力に対して自立的か服従的か> 二つの座標軸をクロスさせ四象限を考える。

四つの役割を位置づける:
「被害者」は2象限に分かれる。
ひとつは、<学級の中心的価値への志向が強く、しかも力に対して服従的な「集団的統制管理受容型」(弱い子)>:権威や集団統制に従順な態度をもつことがかれらの弱さ。もし拒否的な態度をもっていれば対抗することも可能なはず。
もうひとつの象限は、<学級の中心的価値への志向がなく、しかも力に対して服従的な「集団価値からの疎外型」(はみだしっ子)>:「いじめっ子」グループとの関係を断ち切れず──それ故「加害者」になることもあるが──追いつめられていく子がこのタイプ。

「加害者」と「観衆」は「被害者」の対極の同じ象限に属す。
<学級の中心的価値への志向がなく、しかも力から自立的な「集団的統制管理否定型」(強い子)>。彼らは自己中心的な欲求の満足を志向する傾向が強い。

残りの一象限に「傍観者」がいる。学級の中心的価値への志向があり、しかも力から自立的な「集団価値への没入型」(よい子)である。実は「仲裁者」もこの象限にいるが、彼らはより積極的でたくましさをもっている。これに対し「傍観者」の子どもたちは「学級活動へはコミットながらも「加害者」の意識と親和性を示すことにより「加害者」「観衆」の行動の意識基盤を暗黙のうちに支持し、傍観者としての身の安全を確保している。」このグループの特徴は大学進学を希望する者が多く成績もよいこと!

被害の大きさは「加害者」の数とは相関性がない。いじめ被害の増大と相関するのは実は「傍観者」の数「いけにえをつくり出すことで集団的にまとまり、その中で安心し、さらにいけにえに総ての欠陥を転嫁(投影)することで自らを浄化しようとする"儀式"」

2.「いじめ」の社会的土台としての<戦後の日本型企業>

高度経済成長期に入る頃からテーラー・システム、インダストリアル・エンジニアリングが大企業、つまり日本経済を牽引すると考えられた有名企業に導入され、これが中小を含めた多数の企業における労働関係のモデルとして広まった。

労働の単純化と労働者自身の主体性のある職場集団の崩壊が生れ、労働者のアトム化(私人化)が進んだ。対応して能力主義的競争を促す労務管理が徹底され、人事考課と査定の圧力の中で、日本では労働者が「自発的に」会社側の要請に同調する傾向を強めることになった。いわゆる会社人間の出現である。会社人間の傾斜が職場の雰囲気を強く支配しているときには、そう考えない人を結果的に「異端」として排除することになる。

熊沢誠『新編 民主主義は工場の門前で立ちすくむ』現代教養文庫1993年、『日本的経営の明暗』(筑摩書房1989年)

次のようなことは総て職場における「いじめ」の対象になった:

(1)いまの仕事の範囲や負担がふえること、新しい仕事を覚えることなどを嫌う
(2)果たすべきノルマが残っているのに「私生活大事」のため残業や休日出勤を拒む
(3)QC活動などの「改善」活動に熱心でない
(4)「個人的な理由」から配転、応援、赴任などの人事異動に応じない
(5)安全や働きぶりなどに関する職場の慣行に無条件には従わない
(6)職場のなかまとの仕事外のつきあいを大切にしない
(7)職場の慣行に従うよりは、憲法や労働法にもとづく市民・労働者の権利に固執する
(8)企業と協調関係にある労働組合の活動に批判的である
(9)会社の製品のもつ社会的意義に疑問をもつ。公害や欠陥商品など「企業悪」の内部告発を試みる…

3.間庭充幸『日本的集団の社会学――包摂と排斥の構造』河出書房新社。1990年

同調競争:「普通同調と競争が結びつくというときは、同調すべき目的(金銭、地位、あるいは天皇への忠誠、何でもよい)があって同調し、さらにその目的に早く近づくために競争する。それはまさに目的内容を介しての同調的競争、競争的同調である。しかしそれがある限界を超えると、かんじんな目的が脱落してしまい、同調という行為(多数者)自体への同調や競争が発生する。ある目的に向かっての同調や競争とは別に、皆がある目的に志向すること自体が価値を帯び、それへの同調と競争が新たに生まれる。」


B/C.
苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ――学歴主義と平等神話の戦後史』中公新書、1995年
有力大学の進学者の75%が上層ノン・マニュアル(専門家や会社役員・管理職)の子弟

文科省「06年度子どもの学費調査」
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/006/07120312.htm" http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/006/07120312.htm

幼稚園  75万3972円  169万6220円
小学校 200万4804円  860万8560円
中学校 141万5256円  418万2253円
高等学校    156万1509円  348万1433円
大学    854万4400円 1154万4125円
総計すると     1428万強 2950万強

「自分は教育格差が一番重要な問題だと考えています。
具体的には公立と私立の格差、公立の中でも都市部と過疎地域との格差、家庭の事情による高校、大学への進学の格差などが挙げられます。
憲法第26条で教育を等しく受ける権利が規定されている以上義務教育の九年間は格差のない学校の運営を考えなければならないと思い
ます。」

2009年4月15日水曜日

09教職入門:課題1

ミワは、全15回ある授業のうち、第2回〜第4回の3回を担当する予定です。

4月15日現在で大学のWeb-Site上のシラバスに載っている内容は、近日中に担当教員の協議により少なからず改訂されるものと思われます。

<ミワの担当授業の予定>

次のテーマについて、予め各自の意見を簡潔にまとめてミワに報告し、それをミワが編集してこのブログに載せます。
受講者は予めブログに載った様々な意見を読んだ上で授業に参加します。
授業では、グループを作り、グループ討論をしながらテーマについて問題認識を深めて行きます。

ブログのURLは:  

http://giov3.blogspot.com/

4月23日「学校で学ぶとは?」

4月30日「なぜ教員が必要なのか?」

5月14日「社会科はなぜ必要なのか?」
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<第一回の課題>

次の三つの問いに対して、それぞれ200字以内で簡潔に各自の意見をまとめ、それをE-mailで下記のメアドに、4月20日までに送りなさい。

問1.何が、現在の日本の学校の重要な問題だと思いますか?
問2.そもそも学校は何のためにあると思いますか?
問3.社会科の学習はなぜ必要/不必要だと思いますか? 

送付先のメアドは、
takm*pace.forum.ne.jp
この*を@に換えて送りなさい。

なお、メールの送付に際しては、件名(タイトル)を各自の学籍番号とすること。

受取ったメールはミワが編集し、このブログに載せます。ブログ掲載に際しては、希望があれば本名ではなくハンドルネームを掲げます。
ハンドルネームでの掲載を望む者は、それを6文字以内で作ること。

送信したメールをミワが受信した場合は、その旨を返信します。この受信メールが返ってこなかった場合は受信されなかったものと考え、次のメアドに再送信すること:

takm*mail.saitama.-u.ac.jp
(上記と同様に*を@に換えて送ること)

なお、4月23日のテーマは、「学校で学ぶとは?」です。

ミワの担当予定

全15回ある授業のうち、第2回〜第4回の3回を担当する予定です。

4月15日現在で大学のWeb-Site上のシラバスに載っている内容は、近日中に担当教員の協議により少なからず改訂されるものと思われます。

木5〜6時限 A212講義室

次のテーマについて、予め各自の意見を簡潔にまとめてミワに報告し、それをミワが編集してこのブログに載せます。
受講者は予めブログに載った様々な意見を読んだ上で授業に参加します。
授業では、グループを作り、グループ討論をしながらテーマについて問題認識を深めて行きます。

4月23日「学校で学ぶとは?」

4月30日「なぜ教員が必要なのか?」

5月7日「社会科はなぜ必要なのか?」

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