2011年5月14日土曜日

5月12日 講義メモ


(続き)

3.次の社会の新しい担い手形成

1)個人の人生で、個人の努力だけで実現できるものは限られている。

   eg. 就職:「実力」の有無にかかわらず、雇用動向によって左右される。

    結婚:イケメンでも稼ぎ、カネがなくては。

    受験:学力なくてもカネあれば、、、

    賃金や労働時間:悪くされたくなかったら?

    病気や障害:根性で直せるか?

    年金:減らされたくなかったら制度を変えるしかない。

2)人々との繋がりの中にある個人

 かけがえのない個人:後にも先にも自分・君は一人だけ

 ① 生前の制約:単に生物的制約だけでなく、生まれた時代、地域、家族など

 ② 生きている間の制約:自己努力、自己責任だけで人間らしい生活ができる人は例外的存在;物質的依存関係(経済)、精神的関係、生物的身体的関係など

 ③ 死後との係わり:「何のために生きるのか?自分の人生の意味はどこにあるのか?」、多かれ少なかれ、後の世代との関係からの制約

3)個人の努力や意志の彼方にあるような社会関係の力

個人(VIPでも)が左右することができる社会事象の範囲は限られている。

   eg. 景気・不景気の「波」

「前からあった」自然の光景を同様に説明される法律、政治制度

歴史の「流れ」の結果(だから免れないもの)と説明される現在の事象

 cf. 人々の意識は、根拠のない幻想・錯覚であっても現実を作り出せる:

トレペ品不足騒ぎ

4)人々の集合的行為の結果としての社会関係、社会制度

5)公共というもの: public と オホヤケ(大宅)

    public 語源はラテン語の publicuspubes(adult)に由来する、

また、 poplicus, populus : people とも

「民衆のもの、総ての者に開かれたもの、民衆の共通のもの」といった意味

「公」は、本来はオホヤケ(大宅、大家)の意で、ヲヤケ(小宅)に対し、天皇、権力者などを指した。

幕末維新期に public に漢字を当てた際に用いたのがこの「公」

 * 多くの人々にとって(共通に)必要であって、かつ個人ではまかなえず、それには共同の営みによる必要がある事柄

 いわゆる目に見える公共施設だけでなく、日常生活のルールから国家や世界の制度やその運用の仕方など、目に見えない、しかし共通に必要な事柄。

6)公共の事柄の担い手:<市民>

 単なる私益の追求者ではなく、公共の事柄に、他の人々と共に携わる

(自立した)個人。

 * 「公民」という言葉のまやかし性

古代の公民は、土地が公地と呼ばれたように、オホヤケ(天皇)の所有物であった。

日本近現代で民衆は臣民(天皇の臣下)と呼ばれた。

  

4.将来世代にとって「次の社会」は、「日本」/日本列島に存在する社会だけか?

 <世界市民>へ

ニュース(同時進行の社会事象)を追いかけることを通して、社会事象に対する関心と理解を養って行く:市民としての日課!

「中立公正な正しい」報道はあり得ない。飛び込んでくる報道を受動的・無批判に受入れるのではなく、複数の報道を意識的に目配りし、何が重要か、どのような相互関係があるかなど自らの問題意識で能動的にニュースを点検する。週に1回は国外メディアのサイトをチェックする

http://www.bbc.co.uk/news/

http://english.aljazeera.net/

http://global.nytimes.com/

http://www.47news.jp/

http://www.jiji.com/

補足

1.何のための社会科?

・ <社会化 socialisation

市民形成:単なる私益の追求者ではなく、公共の事柄に、他の人々と共に携わる

(自立した)個人。

イ)他者との出会いと交流 → 仲間意識、共感能力の形成

ロ)共同社会の一員としての同輩性の実現

<社会>とは何か?

日本語にはなかった「社会」という言葉:social dance, social monarchy

sociable < sociare=unite

sociabilis

socialis=allied, companionable(パンを共にすることができる)

< sosietas

< socius=compagno(仲間)

「社会/世の中/世間」の異同は何か? 

世間:人々が日常的に直接に接触・交際する人間関係。Ex.「世間の目が怖い」

世の中: 世間の外に広がる人々相互のかかわり。「世の中は広いようで狭い」

社会:「世間、世の中」が大かれ少なかれ人々が日常的に経験する関係をさすのに対して、「社会」は主観的意識に感じられなくても存在する人々の諸関係の総体をさすことが多い。

2.指導要領をどうするか?

1)法的拘束力の根拠はない

 国家が教育内容を決める権限はどこに由来するか?

 教育内容を決めるのは、本来、その社会の構成員、市民(教育の自由)。

 「良い内容」であっても国家が決める権限は本来ない。

2)実際上の対応

学習を立ち上げ、深めること

盛り沢山・内容が広範囲 → 厳選が必要 → 体験型授業を多くする等の工夫。

選択か総てかの判断基準が問題: 

事柄の重要性

子どもたちの社会的視野を拓き、それを拡大深化する可能性の如何

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