A、なぜ「いじめ」が多いのか?
B.「モンスターペアレンツ」が増えるのは何故?
C.出身家庭、地域による教育(機会)の差異の拡大
1.森田洋司・清水賢二『新訂版 いじめ――教室の病い』金子書房、1994年 による分析:
いじめの四層構造:加害者:いじめっ子、被害者:いじめられっ子、観衆:いじめをはやしたておもしろがって見ている子、傍観者:とは見て見ぬふりをしている子。
重要な役割を果たすのは、「観衆」と「傍観者」の反作用(反応)。かれらが否定的な反応を示せば「加害者」はクラスから浮き上がり結果的にいじめへの抑止力になる。逆に「観衆」がおもしろがったり「傍観者」が黙認するといじめは助長される。他に「仲裁者」という役割もあるが、いじめ場面では極端に減少し、クラスは「四層化」されている場合が多い。
<学級集団の中心的価値に対して肯定的か否定的か>、<教師や生徒間の影響力に対して自立的か服従的か> 二つの座標軸をクロスさせ四象限を考える。
四つの役割を位置づける:
「被害者」は2象限に分かれる。
ひとつは、<学級の中心的価値への志向が強く、しかも力に対して服従的な「集団的統制管理受容型」(弱い子)>:権威や集団統制に従順な態度をもつことがかれらの弱さ。もし拒否的な態度をもっていれば対抗することも可能なはず。
もうひとつの象限は、<学級の中心的価値への志向がなく、しかも力に対して服従的な「集団価値からの疎外型」(はみだしっ子)>:「いじめっ子」グループとの関係を断ち切れず──それ故「加害者」になることもあるが──追いつめられていく子がこのタイプ。
「加害者」と「観衆」は「被害者」の対極の同じ象限に属す。
<学級の中心的価値への志向がなく、しかも力から自立的な「集団的統制管理否定型」(強い子)>。彼らは自己中心的な欲求の満足を志向する傾向が強い。
残りの一象限に「傍観者」がいる。学級の中心的価値への志向があり、しかも力から自立的な「集団価値への没入型」(よい子)である。実は「仲裁者」もこの象限にいるが、彼らはより積極的でたくましさをもっている。これに対し「傍観者」の子どもたちは「学級活動へはコミットながらも「加害者」の意識と親和性を示すことにより「加害者」「観衆」の行動の意識基盤を暗黙のうちに支持し、傍観者としての身の安全を確保している。」このグループの特徴は大学進学を希望する者が多く成績もよいこと!
被害の大きさは「加害者」の数とは相関性がない。いじめ被害の増大と相関するのは実は「傍観者」の数「いけにえをつくり出すことで集団的にまとまり、その中で安心し、さらにいけにえに総ての欠陥を転嫁(投影)することで自らを浄化しようとする"儀式"」
2.「いじめ」の社会的土台としての<戦後の日本型企業>
高度経済成長期に入る頃からテーラー・システム、インダストリアル・エンジニアリングが大企業、つまり日本経済を牽引すると考えられた有名企業に導入され、これが中小を含めた多数の企業における労働関係のモデルとして広まった。
労働の単純化と労働者自身の主体性のある職場集団の崩壊が生れ、労働者のアトム化(私人化)が進んだ。対応して能力主義的競争を促す労務管理が徹底され、人事考課と査定の圧力の中で、日本では労働者が「自発的に」会社側の要請に同調する傾向を強めることになった。いわゆる会社人間の出現である。会社人間の傾斜が職場の雰囲気を強く支配しているときには、そう考えない人を結果的に「異端」として排除することになる。
熊沢誠『新編 民主主義は工場の門前で立ちすくむ』現代教養文庫1993年、『日本的経営の明暗』(筑摩書房1989年)
次のようなことは総て職場における「いじめ」の対象になった:
(1)いまの仕事の範囲や負担がふえること、新しい仕事を覚えることなどを嫌う
(2)果たすべきノルマが残っているのに「私生活大事」のため残業や休日出勤を拒む
(3)QC活動などの「改善」活動に熱心でない
(4)「個人的な理由」から配転、応援、赴任などの人事異動に応じない
(5)安全や働きぶりなどに関する職場の慣行に無条件には従わない
(6)職場のなかまとの仕事外のつきあいを大切にしない
(7)職場の慣行に従うよりは、憲法や労働法にもとづく市民・労働者の権利に固執する
(8)企業と協調関係にある労働組合の活動に批判的である
(9)会社の製品のもつ社会的意義に疑問をもつ。公害や欠陥商品など「企業悪」の内部告発を試みる…
3.間庭充幸『日本的集団の社会学――包摂と排斥の構造』河出書房新社。1990年
同調競争:「普通同調と競争が結びつくというときは、同調すべき目的(金銭、地位、あるいは天皇への忠誠、何でもよい)があって同調し、さらにその目的に早く近づくために競争する。それはまさに目的内容を介しての同調的競争、競争的同調である。しかしそれがある限界を超えると、かんじんな目的が脱落してしまい、同調という行為(多数者)自体への同調や競争が発生する。ある目的に向かっての同調や競争とは別に、皆がある目的に志向すること自体が価値を帯び、それへの同調と競争が新たに生まれる。」
B/C.
苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ――学歴主義と平等神話の戦後史』中公新書、1995年
有力大学の進学者の75%が上層ノン・マニュアル(専門家や会社役員・管理職)の子弟
文科省「06年度子どもの学費調査」
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/006/07120312.htm" http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/006/07120312.htm
幼稚園 75万3972円 169万6220円
小学校 200万4804円 860万8560円
中学校 141万5256円 418万2253円
高等学校 156万1509円 348万1433円
大学 854万4400円 1154万4125円
総計すると 1428万強 2950万強
「自分は教育格差が一番重要な問題だと考えています。
具体的には公立と私立の格差、公立の中でも都市部と過疎地域との格差、家庭の事情による高校、大学への進学の格差などが挙げられます。
憲法第26条で教育を等しく受ける権利が規定されている以上義務教育の九年間は格差のない学校の運営を考えなければならないと思い
ます。」
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