2010年6月23日水曜日

第2ステージ授業案「スーパー」批評


授業案「スーパー」(担当:ピンセット+3LDK)


<総評>


全体として、もっと自由闊達に授業案を構想して良かったと思う。

前回「ゴミ問題」で最初に授業案をつくった2班の、のびのびとした授業構想からもっと学んで欲しかった。


<単元についての考察>

ピンセット班が、第1ステージでスーパーをめぐって挙げられた社会的問題点を広く踏まえたことは大事な点です。他方、3LDK班は、<生産ー流通ー販売ー消費>という生産/消費活動の全連関のなかで、スーパーがどの局面の事象であるのかを明確に捉えているとは言えないものでした。


「販売者と消費者の工夫」とは、一体どのような事象を指しているのでしょうか? より儲けること? より安く買うこと? また、それはどうして生じているのか? 安く、かつ安全な売買は自動的に生じることなのか? 等など。「工夫」とは主観的なもので、客観的に捕まえにくいものです。人間のどんな営みも意識的に行われますから、それを指して「工夫」といえば「工夫」はどこにでも見つけることができるでしょう。


ここでは、ただ単に「大人は色々考えているのだなぁ」といった、「工夫」に対して共感することが目的なのでしょうか? それとも、なぜそうした「工夫」がなされるのか、その背景にあるもの(それは社会的関係としか言えないでしょう)の理解に繋げることが目的なのでしょうか?


<単元の狙い>の考察も、もっと突っ込んでやる必要があります。


<どこで生産され、どういう経路で食卓に来るか>:これは、販売ー消費が、その前に生産(活動)に始まり、流通(活動)を介することによって初めてなりたつものであることに気づくことになり、子どもたちの社会事象に対する視野を広げる適切な目標です。より考えて欲しいことは、こうした目標を立てる理由です。それは

単に社会的視野を広めるだけではなく、「遠い所から来ているのに安いのはなぜだろう」、「日本では暑い季節に取れるものが寒い季節にも手に入るのは、そのの生産地でも日本と同じものを食べているのだろうか」、「どうやって運んでくるのだろう」といった、大規模生産・大量消費や、輸送に伴う社会問題などに繋がってこそ、単なる視野の拡大が自分たちの(将来の)行動にとっての主体的な意味をもってくるのではないでしょか?


ゴミがどれだけ大量や、どうやって処分されているかを知ったりすることは、それだけに留まらず、将来にゴミ問題、環境問題に主体的に関心をもち取り組むようになってこそ意味があると考えられたのと同じことです。


<消費者の一員としての自覚を持つ>という言葉は極めて曖昧です。<消費者>とは、単に買った物を消費するだけの存在をさすために生まれた言葉でしょうか。そうであるなら、歴史のずっと以前から消費者はいた筈です。<消費者>という言葉が特に使われるようのなったのは、生産者と消費との分離、多数でも販売者や生産者に対して社会的弱者である者が多数になるような事態が生じてからのことです。こうした点をおさえてこそ、<消費者の一員としての自覚>という言葉が意味を持ちます。


しかし、小学校3〜4年生が直ちにそうした自覚をもつことは難しいでしょう。将来、そうした、<自覚>をもって主体的に<生活できるようにする>ためには、スーパーについて学校での学習で最初に取上げるときには何を目標にするのが適当でしょうか? 将来社会の主体的担い手に必要なことを展望することは、重要なことです。しかし、前回もコメントしたように性急に実践的関わりを求めることは、却って問題への関心から子どもたちを遠ざけることにもなりかねません。


<スーパー問題の性質>


これは、現行指導要領では、「地域の生産と販売」に関する「地域の仕事」をとりあげる部分の一部になるものです。指導要領では「そこで働く人々の工夫」、「仕事の特色」、「国内他地域などとのかかわり」が挙げられていますが、なぜこうした点が学習内容になるのかは、文面からはわかりません。


これは、第1ステージでも指摘したように、広く見ると、人間の社会生活を支えてる物質的関係:経済活動にかかわるものです。その最初の学習が、指導要領では「地域における生産と販売」ているわけです。しかし、現実には子どもたちが生活する地域における子どもたちにとって最も身近な経済活動が、生産でも販売でもなく流通(運送など)にある地域もあります。そうでなくても現代日本の都市部では、生産業よりもサービス業、販売業の方が子どもたちの圧倒的に身近なものである場合が多いでしょう。もちろん、子どもたちの生活の場が、農村地帯や工業地帯にある場合もあります。


要は、生産から流通、販売ー消費に至る経済活動の全過程を学ぶことではなく、その地域なり時代に応じて、子どもたちにとって身近にある、つまり見慣れていて当たり前の光景であるような経済活動を、改めてより客観的に、より全体的に観察、調査し、それまで持っていた「当たり前の光景」として「知っていたもの」は、実は良く知らないことだらけであったことに気づき、また、そこには「もっと知りたいこと」(生産ー流通ー販売・消費の全過程にかかわる背景)があることに気づくことです。



<小単元の目標>:省略

<小単元の一般的構成>:省略


<個別コメント:ピンセット>

1) 小単元の配当時間数が少なすぎる。

2) 狙いは意欲的。しかし、「流通経路をインターネットで調べる」ことが適切な学習活動だろうか。


イ)世界地図や地球儀を、子どもたちが一緒に見て、

ロ)まず原産地を探し出す、

ハ)原産地の様子を想像してみる、あるいは教員が資料を提供する

ニ)原産地からの最短距離を考えてみるたうえで、実際の運搬経路について教員が資料を提供する

ホ)そのうえで「起こりうる社会問題を考える」:教員は子どもたちが考えることができるような情報、材料を用意しておく。


3)まずは、実際にスーパーにいくなり、広告チラシを見るなりして、子どもたち自身が現物を通して「遠い生産地」からやってきていることを確認することがだいじではないか。

現物を見ることによって、例えば、「この冷凍**はどこで冷凍したのだろう? 現地からずっと冷凍して運んだのだろうか?」「この串に刺さっている焼き鳥は、タイ産って書いてあるけれど、どこでそんな格好にしているのだろう?」「どうして国産の**より遠い@@**の方が安いんだろう?」といった、具体的な疑問がわき上がるのではないだろうか?


4)将来の学習への繋がりを展望した点はとても良い。


<個別コメント:3LDK>


1) 授業案の出発点である、なぜ「工夫」なのかは曖昧なまま授業案がつくられている。


2)「消費者の一員である自覚」については上述のとおり。


3)実際にスーパーにいって、まずは子どもたち自身の目で販売側の工夫を観察することが重要。そのためにも、なぜスーパーは安売りやお買い得広告をするのか、「工夫」に関心をもつ目を子どもたちがもてるようになるかどうかが鍵。


4)親は買い物でどういう「工夫」をしているのかを観察や聞き取りさせるなど、販売がなりたつ上での他方の当事者(消費者)についても、子どもたち自身で観察することが不可欠。おそらく、上記3)より前に4)がくるのではないか。

1 件のコメント:

  1. こちらの世界地図を神奈川県の施設が発行する新聞で紹介させていただいてもよろしいでしょうか?

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