2010年5月3日月曜日

小学校社会科指導要領批判(その4)


<ビタミンA>

・第3学年及び第4学年、とまとめているのはよくない
同じ教師が持ち上がるとは限らないので授業構成の目途や計画がたてにくい。学年別に内容を分けることで、その学年にみあった分量や能力が判断でき、適切な授業展開が期待できる。

・抽象的な部分がある
第5学年の内容の取扱い(3)エについて、ここでは理解させるまではいいが、どのように尊重するのかはっきりしない。まず、国旗を理解しただけで尊重できるのか。他国の文化や歴史、民族などあらゆる学習をした上で「尊重」という言葉を使えるのではないか。また、個々人の信条を考慮するなら、それに大きな価値を認められない児童もいるはずである、第6学年では「文化」や「伝統」が出てきているので、ここで「尊重」を使うのは適切である。

・「考える力」、「表現する力」の育成に触れているのは好ましい
社会というと「暗記」のイメージが強くなってしまうので、教える側にも気付かせてくれると思う。国語だけで「表現する力」を養うのではないことを、ここでも再確認しているような気がする。

・選択の幅がない
第6学年の内容では(1)の歴史が細かく記述されている。
ここまで教師がやれるのかと疑問である。それぞれ得意・不得意はあるだろうから、もっと選択の幅があってもいいのではないか。

・副読本の存在
学習指導要領では、3年生4年生は身近な地域社会を学習するよう示されているが、学習する際に使用するのは、検定に合格した全国共通の全国汎用的な教科書である。私が小学生の時は「私たちの○○区」といった区の教育委員会発行の副読本を中心に授業が行われていたが、こういった副読本に検定はない。副読本ありきの教科書作成、指導要領作成には曖昧さが残る。

・環境による格差
第3学年及び第4学年の内容(1)、(3)、(5)について、これらの活動を子どもたちが主体的に行おうとした場合、校内学習で資料を収集する方法として、学校図書館やインターネットを活用する方法などが考えられる。しかし、学校図書館の整備(資料となるような本の用意)や情報機器の整備(台数の確保やインターネット接続など)には学校間に差がある現状がある。また先生の中にも、特に情報機器の取り扱いに不安を抱き、なるべく使用を控えようとする先生も少なくないという。こうした状況では、子どもたちが「調べ学習」できる環境に格差が生まれてしまう。
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<3LDK班>

・まず第一に、学習指導要領の目標の中で「社会生活についての理解を図り,我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て」とあるが、社会科を学ぶことを通して生徒が得るものはすべて同じではなく、それぞれ感じるものが異なるので、「愛情を育て」という表現は何やら義務的なニュアンスを感じ、目標として掲げるのは妥当ではないと思う。

・第6学年の目標の(2)で「平和を願う日本人として」とあるが、この表現は指導要領に記載するにあたって適してるとは言い難い。もちろん、平和という言葉は日本人にとって重要であり必要であるが、この表現では、日本人のあるべき姿・こうでなくてはならない姿のように感じられてしまう。

・指導要領を全体的に見て、「愛する心情を育てる」「愛情」「尊重」などといった言葉が比較的多くみられるが、これらが「社会科を学ぶこと」と結びつくというと抽象的であり、具体性に欠けると考えられる。指導要領として記載するならば、社会科を学ぶことにより、どのような過程を経て愛情や尊重心が生まれるのか、具体的に記す必要があるのではないかと思われる。

・指導要領を全体的に見て、第5学年・第6学年は分けられて記載されているのに対し、第3学年、第4学年はまとめて記載されている。高学年である第5学年、第6学年は学ぶことも増え、指導要領が分けられるのは当然のように感じるが、第3学年、第4学年も第1,2学年にはなかった社会科が登場するにあたり、まとめて記載するのではなく、第3学年、第4学年と分けて、より具体的に記載するのが妥当ではないかと考える。

・指導要領内容部分から、第3、4学年での学習内容は地域や県内のことで的確であると思うが、第5学年の「我が国の情報産業などの様子と国民生活との関連」という内容は、第5学年には少し理解に苦しむと思う。例えばメディアやネットワークなど、普段使わないような言葉が登場することもあるからだ。
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<ピンセット>

 小学校学習指導要領の社会科に関する記載は、全部で9ページであった。この9ページを読み終え、私たちのグループは、[第6学年]の「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする」「調べたことや考えたことを表現する力を育てるようにする」という目標に注目した。

 日本には、1946年5月3日に施行された「日本国憲法」がある。この第3章第19条は、「思想及び良心の自由」について規定している。これを踏まえ、「国を愛する心情を育てるようにする」ことを目標に掲げるのは憲法に反しているのではないか、と考えた。日本に生まれ、育ち、日本で教育を受ける小学生に、このような目標を掲げるのは当然のこととも考えられるが、この点を以下で批判したい。

社会科の授業を通して、日本に対して批判的な考えを持つことは決して悪いことではない。その前提としてあるのは、社会科で履修すべき内容に熱心に取り組むことである。大切なのは、自分なりの考えを持ち、その理由を説明できる力を養うことではないだろうか。例えば、現在の社会保障制度を考えると、日本を好きになれない。スウェーデンの社会保障制度に憧れ、将来はスウェーデンで暮らしてみたい、そのような考えを持ってもいい。また、20世紀後半に起こった朝鮮民主主義人民共和国による「拉致問題」に関して、その政府の進まない対応から、日本に批判的な考えや感情を持ってもいい。それらは社会科を熱心に学んだ結果だからである。そして、その考えが逆に日本の将来を支えることになるのではないか。政治家やテ
レビのコメンテーターとして活躍することになるかもしれない。したがって、「調べたことや考えたことを表現する力を育てるようにする」という目標こそ、「生きる力」すなわち「変化の激しい社会を生きる力」を育てるにあたって、最も大切にしなくてはいけないと考える。
私たちは、学習指導要領に批判的な意見を持ちつつも、いずれ教師となった時にはそれに記載されている内容に従った授業を展開しなくてはいけない。このレポートの作成中、複雑な心境になったのは、おそらく私たちのグループに限ったことではないだろう。
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<ミカヅキモ>

1・2年  第1・2学年では社会科はないが、それと関係のある教科として生活科があるのだから、その生活科にふれつつ発展的な内容を取り進めていくべきだということを明記する必要があると思う

3・4年
・内容の取扱い(1)において、児童に無理のない取扱いとは何かわからない
・選択する部分が多く、教師によって授業の質が変わってしまう
・3、4年の内容をまとめることで、授業計画が曖昧になってしまうのではと思われる

5年
・目標(3)に調べたことを表現するとあるが表現の仕方がはっきりと書かれていない
・「~に配慮すること」と多くあるが、具体的な方法が示されていない

6年  
・「国を愛する心情を育てるようにする」とあるが、考え方は個人で異なるものであると思われる


<全学年の内容を通しての印象>
・表現が抽象的で、分かりにくい
・目標の1文が非常に長い
・選択科目は教師が選択して、そのものだけを取り上げるのか、それとも生徒に好きなものを選択させて、意見交換会などをさせるのかが明確でない
・どの学年の目標に対しての内容についても、まずは家族や身のまわりの人たちとの関わり合いや様子に関する内容を必要とすべきであると思う。まずは身近なものから考えることで、子供たちの関心や理解をより一層広げたり深めたりすることができると考える
・指導について、3,4学年「わが国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て」、5学年「国土に対する愛情を育てる」6学年「国を愛する心情を育てる」とあるように、愛国心を養う事について全ての学年で明記されているが、書かれている内容を指導しても愛国心が養われるのか疑問である。目標として現場に丸投げしているように感じる
・「我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て」から「国際社会に生きる」へのつながりがよくわからない。
・歴史に関して、上記のように「我が国(日本)」に関することが大切なのは分かるが、さまざまなものに関心を持ち、多様な観点・視点を持てるように、「他国から見た日本」「他国の政策・歴史」など、日本以外の国に関する調査という項目も必要だと考える
・見学したり調査したりする内容が多いのは良いと思うが、社会科の年間時間数を考えると、学校の所在地によっては見学になかなか時間をかけられず、地域差が出てしまうのではないかと考える。そもそも、1年で扱う内容としては範囲が広すぎて、目的にあるような「わかる」・「調べる」ことができるようになるほどしっかりと指導することは難しいと考える
・環境問題など、世界全体として問題になっているものの取り扱いについて明記してある点は評価できる
・一方で、日本における重要な問題点(政治の問題・食料自給率の問題など)についての取り扱いが不明確

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<ニュートン>

社会科の目標の改善について、第3学年から第6学年の能力に関する目標で、「これまでの調べたことに考えたことを加え考えたことを一層重視した」という点について、今の子どもたちは自分の考えたことや思ったことを表現する力が不足しているので、この目標の改善は適切であると考えられる。

内容の改善について、県の地形や産業、県内の特色ある地形に関する内容について新たに「我が国における自分たちの県の地理的位置」、「47都道府県の名称と位置」を加えたとあるが、教科の目標に「我が国の国土と歴史に関する理解」とあり、国土を理解するには47都道府県の名称と位置を理解することは重要であり、地理的学習を行う際に有効であると考えられる。

第5学年の内容について「国土の環境保全や自然災害の防止の重要性、我が国の産業の発展と社会の情報化の進展についての関心と国土に対する愛情を育てるようにする。」とあるが、我が国の産業の発展と社会の情報化の進展についての関心はこれからの日本で生活していくうえでは徐々に育てていく必要がある。また、第5学年の内容の農業、水産業、工業、などで国土への愛情まで育てられるかは疑問である。

第6学年の内容について、我が国の歴史上の主な事象について、平和に対する気持ちや願い、戦争の悲惨さを考えさせるには、戦前や戦後の日本についてや世界各国の戦争、紛争について学習することは必要不可欠であるが、貴族社会や武家国家について学習することはこれからの人生において参考にすらならない内容ではないかと考えられ、必要性を感じない。例えば、「源平の戦い、鎌倉幕府の始まり、元との戦いについて調べ、武士による政治が始まったことが分かること」とあり「~武士による政治が始まったことを分かるようにすることをねらいにしている、」とあるが、指導要領には歴史を理解することの趣旨は記されているがそれに重要性、具体性は読み取れない。

<しゃもじ>

第3学年及び第4学年  内容(3)イにおいて、計画的、協力的に進められているとあるが、本当にそうなのか疑問である。実際に自分の地域に原子力発電所やごみ処理場、ダムなどが建設されることになったらどうだろうか。健康に害はないのか、自分の町がダム建設のために沈んでしまうのではないか、などの不安を地域住民は抱え、反対運動を起こすかもしれない。また、計画的に行われているかという点においては、八ツ場ダムの建設問題のようなこともある。これらのことから、政府は地域住民と円滑に事業を進めていますよ、とこどもに思わせる、政府にとって都合の良いように内容がつくられていると思う。

第5学年  内容に、世界全体の地形・海洋を調べるとあるにもかかわらず、主な国として近隣諸国を調べるのはどうかと思う。なぜなら、近隣諸国とは主にアジアの国々であり、地形から考えてみれば海洋を調べてもごく限られるし、広いユーラシア大陸の中にある国々でもあるため、その他の大陸や海洋は調べても子どもたちに残る印象は低いと思われるからだ。ならば大陸と海洋を両方調べたうえでそこにある国々の特徴を教えたほうがいいのではないか。

第6学年  学ぶべき内容が多い。第6学年になってから歴史を学び始め、その上政治についての必要性についてもやらなくてはならない。また今まであった調べ学習というものがなくなっている。これらが俗に言う暗記科目としての社会になってしまい、覚えることばかりでつまらない・嫌いな教科にさせてしまう原因となっているのではないだろうか。また「日本国憲法は理想の憲法」というような内容があるが、数年前に憲法改正案が出たりもしており、鋭いこどもから「日本国憲法は理想の憲法じゃないのか」という意見も出てしまう可能性がある。従って、時事問題を踏まえながらの学習を組んだほうがいいのではないだろうか。

内容の取扱いにはどの学年にも、「我が国や諸外国には国旗があることを理解するとともに,それを尊重する態度を育てるよう配慮すること。」とあり、6年生になるとそれに国歌も加えられる。確かに国を愛する心を育てるのは大切なことではあるが、それを授業に持ってきて、尊重する態度を養わせるように仕向けるのはどうかと思う。また、自分の考えから「君が代」を歌わない教師も増えている現在、これを内容として取り扱うのは考え直したほうが良いだろう。

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<ガスバーナー>

私たちは学習指導要領の中の「各学年の目標及び内容」について批判していく。

まず、「第3学年及び第4学年の内容(1)」について、「自分たちの住んでいる身近な地域や市(区,町,村)について,次のことを観察,調査したり白地図にまとめたりして調べ,地域の様子は場所によって違いがあることを考えるようにする。」というように書かれている。ここで、「自分たちの住んでいる身近な地域や市について」と子供たちの行動の範囲を狭めてしまっている。例えば、田舎に住んでいる人は田舎だけ、都会に住んでいる人は都会だけによく見られる地域の様子しか学ぶことができない。すなわち、目標(3)にある「地域社会の社会的事象の特色や相互の関連などについて考える力を育てるようにする。」が十分に達成されないのだ。

 そこで、内容(1)の文頭にある「自分たち~について」という表現を変えて「自分たちの住んでいる身近な地域と自分たちの住んでいる身近な地域ではない地域について」とすることによって、子供たちは二つの点から物事をみることができ、相互の関連などについて考える力を育てることができると思う。

 次に、「第5学年の内容の取扱い(5)」について、「内容の(1)から(3)の指導に当たっては,仕組みや工程に深入りしないよう配慮するものとする。」という一文がある。ここで、食料の輸出入の状況、食料生産に従事している人々、放送,新聞,電信電話などの産業と国民生活とのかかわり、主な食料生産物の分布や土地利用の特色などを仕組みや工程について深入りしないように配慮しながら、指導していく必要はないと思う。例えば「食料の輸出入の状況」は輸出の仕組みや工程に深入りして教えなければ、今何が問題かわからないのだ。

 よって、「第5学年の内容の取扱い(5)」はいらないと思う。

 最後に「第6学年の内容の取扱い(2)イ」の「国会などの議会政治や選挙の意味,租税の役割などについても扱うようにすること。その際,政治の制度や機構に深入りしないよう配慮すること。」という文に注目する。

 ここで政治の制度や機構は重要な役割をはたしているので深入りしないではなく、きちんと教えたほうがよいと思う。

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<ロラン班>

指導要領の構成に関して、書いてある内容、またその言い回しが難しい。(公民的資質とはどのような事を指しているのか。またどの程度なのか。)また、繰り返しの表現が多く、くどいようにも感じた。まず簡潔に述べてからその後難しく述べているが、もっと簡潔に、分かりやすく出来ると考える。また、抽象的な表現が多いので、指導要領を読んで授業を考える教師に不親切な内容だと感じた。授業の質の向上のためにも、簡潔でわかりやすい文が必要であると感じた。


また、第三章で各学年に分けて書いてあるのだから、第2章で各学年に分けて書く必要はないのではないか、と感じた。第2章の理解、態度、能力に関する目標も、記述の仕方がしつこく感じた。目標ごと、内容ごとに記述するよりは、学年ごとに記述した方が教師も使いやすいのではないか。

~の中から一つ選び、というものが多く、一つに決めてしまった方がいいと思った。内容のバラつきはよくないと思う。

また、指導要領の内容そのものに関して、6年生の公民と歴史の両方を一年で学習するのは少し大変なのではないか、と感じる。無理やり詰め込んでも、意味の理解にはつながらず、ただの詰め込みになってしまう。

また、国や地域に誇りや愛情を持たなければいけないように書いてあることについて、国や地域の歴史などを知り、理解できたとしても、それにもつ愛情は自然に芽生えてくるものであり、個人の自由なのではないだろうか、と感じた。物に対する意見を政府に決められているようにも感じてしまう。また、国民国家を身に着けさせようとしているように感じる。この意識は、参政権、納税の義務などの、具体例をあげていることからも伺える。
また、歴史に関して、まんべんなく古代から近代までをさらうように歴史が指導されているが、ところどころ偏りすぎる印象がある。

また、3,4,5学年では指導の内容に具体性が見られたが、6学年における学習内容が広範囲になり、選択肢を教師に設けているため、担当教師によって授業に大きな差が生じてしまうと感じた。

また、目標が大きすぎる。目標に「国を愛する心」とあるが、歴史の授業に一年触れてこの心を育てるのは難しい。



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