1.社会(事象)の認識について
1)私たちの(社会についての)意識は、その人の社会の中での位置によって制約されている:
社会的存在が社会的意識を規定する(社会意識の存在被拘束性)
2)私たちの意識のあり方が、社会のあり方に影響を及ぼす:
人々の社会意識が新たに社会関係を創り出す(幻想の自己実現)
3)私たちにとって社会事象について知る/認識することは、社会にどう関わるかの問題と不可分に結びついている。
「どうすれば良いか」といった実践的問いが先にあって、そのために必要となる社会認識を促したり、「だからどうするの?」という問いと結びつかない情報/知識は意味がないと考えられたりする(認識と実践の一体性)。
2.落水型からバトンタッチ型へ
1)注入・暗記型から観察・討論・批判・実践型へ
「知識/情報を多く握った教師」が「知識/情報をもたない無知な子どもたち」に、水が上から下へ流れるように「知識/情報を注ぎ込む」のが社会科の教育なのだろうか?
社会科を学ぶ子どもたちは、次の社会の担い手。次の社会をどうするかはその時代に生きる人々が決めて行くものではないのか?
自分たちで社会の現実を正確に認識し、判断し、自分たちで共同してより良い社会へ変えて行く能動的な主体形成を助ける。
2)先輩、同伴者、媒介者、触媒(カタライザー)としての”教員”
「で、先生はどうなの?」:教師の本音が問われる → 教師自身が学習対象にどう向かい合っているか、どう関わっているか、が問われる。
本音と切り離された知識・情報は、<建前>として学習主体の<本音>に響かない一過的、表面的なお話しで終わり流れ去る。
0 件のコメント:
コメントを投稿