2011年5月3日火曜日

4月21日講義メモ


「とほほ」な社会科 どうする? 要らない?

Q1.それまでして我慢しなくてはならないのか?

何のための社会科学習?

Q2.(必要だとしたら)何を学ぶべきか?

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1.先週の議論を振り返る

<肯定的経験>

イ)見学

ロ)調べ学習

ハ)地図作り、新聞作り

* 自分が興味をもてたもの ⇒ これは他の教科でも同じではないか?

* 普段では体験できないこと、知らないところ;

* 体感する、五感を動かす = <実感>から発する

⇒ 「将来に必要」と感じることになるのか?

<否定的経験>

a.暗記量が多い/範囲広範 → 受験競争によってもたらされたものではないか

* 「座学に耐えることも学習の一つ」という転倒したマゾっぽい意識 masochism

* 語呂合わせ、ゲーム化したら楽しかった

⇒ 学びとは暗記ではなく、<思考>が必要ではないか?

b.座学 → 学校の制度的制約:学級規模、設備、予算など

c.意味/意義不明に耐えること自体に意味がある!?

⇒ 結果(より深く広い理解など)を伴っていれば:eg. 運動競技、演奏など

2.にも拘らず何故?

1)様々な意見

 イ)社会の成り立ち、仕組みを知る ⇒ 成り立ち、仕組みとは? 知るとは?

 ロ)「社会に出る」ための必要最小限の知識 ⇒ 何が必要最小限の知識?

 ハ)「現実社会に適応する」、「感謝の気持ちをもつ」、「ルールを知る」;「社会発展に貢献しようとする態度を育てる」

* 前者「適応、感謝」などは現状肯定を前提する。これと後者「発展への貢献」、即ち現状のより高次への改変は両立しない。

「現状のまるごと肯定」意識を強化し、再生産することに社会科の意義はあるのか?

 ニ)社会事象に興味をもたせること、自発的学習を促す、自ら学ぶ姿勢を作ること自体に社会科の目標がある!

2)現実の社会科教育が果たしている社会的機能はどのようなものか?

社会変化に「対応/適応する」能力形成 → 変化が大きい:情報量が不可逆的に大きくなる → 負担が大きくなる + 暗記スタイル → 苦痛、忌避感情

* 現在の秩序の(無批判の)肯定、受容

* 社会事象に向かい合う態度の拒否、忌避の促進

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→ より良くするため:そのためには現状の良くないところを認識できなくてはならない。「現実社会に適応する」「感謝の気持ちをもつ」といった姿勢でそれが出来るか?

「現実社会に適応する」「感謝の気持ちをもつ」にしても、「社会発展に貢献しようとする態度を育てる」ことにしても、双方共、そうした<価値観の押しつけ>ることではないのか?

<「社会科は必要か?」まとめ>

1.客観的機能:

1−1)社会科嫌いを大量に作り出している。

その結果、社会事象に対する無関心を拡げている。

無関心であることも現実社会の変動要因として機能する:支配エリートにとって好都合。

eg. 政治、社会問題への無関心、

1−2)「現実社会に適応する」「感謝の気持ちをもつ」といった姿勢は、現状肯定派を増やす

2.それでも個人的利益のため? 「社会に出てから役立つ」?

「社会に出てから」学んだ方が効率よく、また役に立つのでは?

 独習で済むのではないか? > なぜ学校で学ぶ必要があるのか?

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