ゴミ問題や農業問題についての情報・資料と、「歴史」に関する情報・資料とでは、手軽に使えるものは随分に様子がことなる。
歴史の分野では、初学者が頼りになるサイトは殆どない。詳しい年表を眺めたからといって、それで「歴史」が把握できるわけではない。
1853 ペリー艦隊、浦賀へ
1854 日米和親条約
1858 日米修好通商条約、安政の大獄
西南有藩で尊皇攘夷運動活発化
1864 四国連合艦隊、下関占領
江戸、大阪などで打ち壊し
1866 薩英同盟
1867 大政奉還・王政復古
1868 戊辰戦争、五箇条の誓文
1869 版籍奉還
「四民平等」の身分制改革
1871 廃藩置県
1872 学制
1873 徴兵令、地租改正
1874 「征韓論」の高まり
民選議員設立の建白書
1875 樺太・千島交換条約
1876 朝鮮と修好条約
1877 西南戦争
、、、、だからどうした? こうした言葉の羅列を暗記することが歴史の学習なのか? 「歴史」を学ぶ現在は学ぶ対象の時代や事件からどんどんに遠ざかって行く。時間が遠ざかれば多くの事は相互関係が薄くなる。それなのになぜ? 授業時間の制約(いわゆる学習対象の精選問題)もある。ではどうするか?
山を登って行くと麓からは遠ざかるのに、却って全体の光景がよく見えて来ることがある。学習する時点と学習対象の時代との関係には、それに似たところがある。いずれにしてもそこで問われているのは、現在と過去との<対話>なのだ。どのような過去(山麓)を歩んで来たことが、今の自分たちを規定しているのか。どこで曲がったことが現在に影響しているのか。その時点で曲がらずにどうしてまっすぐ進んだのだろうか、等々。
人間の社会生活がさまざまな地理的条件に制約されているように、現在の私たちの生活も過去の歴史条件に制約されている。そのことをひたすらに「誇りに思う」ためでも、「過ちを繰り返さないために反省する」ためだけでもなく、冷静に見直し、過去私たちの祖先が歩んで来た生活や社会の仕組みをより深く知ることが、将来を考える可能性を左右するといっても過言ではない。
「歴史の流れ」という。水は高いところから低いところへ、一方通行的に移動する。この社会は水のように、<上から下へ>、いつでも同じ速度で「流れ」て行くものだろうか?
確かに人間の社会も時間軸の中で変化する。
<「前の社会」と「後の社会」ではどこが異なるか。社会の特徴、構造にどのような違いがあるか。そうした変化はなぜ生じたか。その結果、その後の社会の変化にどのような方向付けが与えられたのか?>
水の「流れ」と同様に捉まえることのできない、変化の中身・質を把握することが問われている。
高校の日本史の教科書も、明治維新とは何かを考えるうえで基本的に踏まえるべき事柄をコンパクトにまとめているので参考になる。
しかし、検定教科書は上記のような問いにもとづく学習に答えるものには必ずしもなっていない。そこで参考になるのは、図書館の歴史・日本史・日本近代史のコーナーにもある、さまざまなシリーズものや「講座」ものだ。それらも大部で読み切れないというのであれば、例えば次の概説的な入門書を参考にして欲しい。
大日方純夫『はじめて学ぶ日本近代史(上)』大月書店
田中彰『明治維新』岩波ジュニア新書
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